TOP MESSAGE
トップメッセージ
株式会社トリニティ
代表取締役
天野 雅之
エンジニアのための会社を設立する選択肢しかなかった。
わたしが小学5年生のときに父親が、いまのグループ会社である天野工業を設立しました。機械加工の町工場だったので人手が足りず、手伝っていたわたしにとって、ものづくりは生活の一部でした。そうした環境で育っていくにつれて、いつからか父親からは「技術者になれ」という暗黙のミッションが課されたわけです。しかし、理系の勉強が苦手だったので、技術者にはなれませんでした。当時は申し訳なさのような気持ちをかかえながら、文系の大学に進学しました。卒業後、いくつかの会社を経験し、設立前にエンジニアの派遣会社に就職しましたが、そのときにはじめてエンジニア派遣について知りました。エンジニアという専門職でありながら、彼らが派遣だけで定年まで働けるかとなったら、たぶんそれはむずかしい。当時はアウトソーシングという業界で働く人が定年になるまで働く未来像が見えなかった。だったら、自社内で仕事をつくりだすしかない。自分はエンジニアになれなかったけれども、エンジニアのためのよりよい環境をつくったり、支援したりすることで、技術開発の一端を担えるんじゃないかと思うようになりました。そうすると、エンジニアのための会社を設立するという選択肢しかありませんでした。こだわったのは、自社工場を持つこと。工場は技術開発のベースであり、エンジニアのベースでもあります。だからこそ、こだわり抜いた工場を建てて、現在は新たなビジネスにつながる第二工場の建設も進めています。
メーカーになることは、エンジニアのプライドにつながる。
メーカーをめざすという目標は、設立当時から持っていました。社員はもちろん、新入社員にもメーカーをめざしていることをしっかり伝えたうえで入社してもらっています。派遣だけやっている会社から派遣されるのと、メーカーとしてものをつくりだせる実力がある会社から派遣されるのとでは、エンジニアの自信の持ち方がちがいます。プライドを持って派遣先で働くことができますし、お客さまからもより高い信頼を得られます。もちろん、社員からも、メーカーになるべく、自社開発を望む声が多いです。自社工場を建てたのもメーカーになるためですし、働き方に多様性を持たせるためでもあります。派遣でも活躍できて、自分たちで開発もできて、自社工場で製造もできる。いいことずくめです。ただ、エンジニアもソフトウェア系と機械系では、実体があるもの、ないものをそれぞれ開発しているわけですから、わたしからすると考え方がまったくちがいます。同じ目標を持って、同心円で進めていくのは大変ですけど、やりがいはあります。現在、メーカーとしての自社開発も少しずつですが、期待どおりに進んでいます。父親からの言葉で、「社員が1,000人になっても、自社開発しないうちは下請けだ」というのをよく憶えています。